MODELLBAU
1:48 川崎 五式戦闘機 (Ootaki)

Type5_Fighter_1
製作:1995年4月3日
記事:1997年4月14日
今は亡きオオタキのキットである。1/48では唯一のキットで、しばらくの間、入手可能な唯一まともなキットでもあったが、近々ハセガワからNew Kitがリリースされるようである。

キットのデキほうは、例のとおり全面に打たれたリベットが緻密(うるさいほど)であるが、形のつかみ方が悪く、全体形と表面のディテールとものっぺりとしていて、この飛行機の特徴が出ていない。
このキットを製作し始めた頃(いま中1の長男が、まだ生まれていなかった)は、ハセガワからのNew Kitなど思いもよらない時期だったので、わたしとしてはハードな工作をしてしまった。

◇コクピット・キャノピー
コクピット内部は、この頃のキットとしては、まあまあのできだと思ったので、ほとんど手を加えていないが、形が違う座席と照準器と照準器取り付け部は自作した。

キャノピーの形も問題ない。このキャノピーをマスキングしたのがいつの頃か憶えていないのだが(ひょっとすると10年ぐらい前?)、塗装が終わってマスキングゾルを剥してみると前部にヒビがいっぱい入ってしまっていた。
ショックであったが、見る角度によっては気にならないし、直すとなると非常にめんどうな作業となるのであきらめてしまった。

◇胴体
胴体はまず全面に打たれたリベットをパテ埋めした。パネルラインを消さないように注意しながら行うので、これが結構めんどうくさい作業となった。
次に、三式戦からの改造時に追加されたフェアリングであるが、まったく立体感がないので0.1mmプラ板で全て作り直した。ついでに、左側胴体の点検パネルと右側機首で無視されている弾薬装填パネルも0.1mmプラ板で作り直した。

また、キャノピー直前の胴体はキャノピーに向かって膨らんでいるようなので、パテ盛りしてある。

◇主翼・尾翼
主翼、尾翼とも平面形、パネルラインとも問題ないので、胴体同様リベットをパテ埋めしただけである。

主翼前縁の着陸灯がないので追加してある。主翼の着陸灯部分を一度切り欠いてから、仕切りを作りライト(手芸用光物に手を加えたもの)を入れ、ガラスは塩ビ板をヒートプレスしてある。翼端灯は色付き透明プラ材で作り替えた。
主翼の12.7mm機銃はアルミパイプを埋め込んである。

◇エンジン・プロペラ
エンジンカウリングはボリュームが不足しているが、本格的にやるとせっかくキレイにできているスリットなどのモールドが消えてしまうので、カウリング下部をパテ盛りして膨らまし、上面のエアダクトの高さと角度が不足しているのをプラ板とパテで修正しただけとした。
しかし、これだけでもキャノピ−前部の膨らましと合わせて、側面型がグッと良くなったと思っている。

プロペラ・スピナーはキットのまま。

◇降着装置
主脚のオレオ部分はキャンバスかゴムの覆いがしてあるので、パテで再現した。また、トルクリンクも形状が違う。実物は軽め穴が開いた、キットより幅広の部品なので、0.3mmのプラ板で作り直した。ブレーキパイプもけっこう太いものが付いている。これは、ちょうど良い金属線で再現した。

主脚格納部分は資料がなかったのと、キットがそれらしいモールドだったので、そのまま使ったが、最近手にいれた資料でまったく違うことが分かってしまった。
脚カバーは主脚に付くほうは、そのまま使い胴体側のものは丸いプレス穴をピンバイスで再現した。それから、このカバーの半円形の作動アームはけっこう目立つので、金属線で作り直してある。

Type5_Fighter_2 Type5_Fighter_3 Type5_Fighter_4
◇小物
アンテナマスト、ピトー管などキットのままである。
主翼下面の増漕ラックは長さ不足しているので2mmほど延長し、適当なデティールアップをしてある。増漕は付けなかった。

◇塗装・マーキング
塗装は上面:暗褐色ベタ塗り/下面:無塗装である。
マーキングは有名な飛行第5戦隊機としたが、機番の25(白)とスピナーの黄色はフィクションである。

塗装は機番25以外はマスキング/エアブラシで塗装した。25はレーシングカー用のデカールを使ったが、部隊マークの白と発色が違ってしまい後悔している。
上面の暗褐色は、オリーブドラブに茶色を加えたものを使用した。最後に軽く汚しを加えて仕上げてある。

◇まとめ
ようやく完成した5式戦闘機。キャノピーのひび割れも注意して見ないと気がつかない程度で、よかった?
本当に、バランスのとれた良い形の飛行機なので、Hasegawaのキットはファーストバック型でも作ろうかな。

◇参考資料
1) 世界の傑作機 No.36 五式戦(1973年4月)
2) 丸メカニック No.37 三式戦 飛燕 & 五式戦(1982年11月)